鳥肌が立つ
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チェロコングレスのコンサートで感動したことをあちこちで語っているうち、ふと「鳥肌が立った」という言葉を使いそうになった。しかし、これは「誤用」ではなかったか?
「鳥肌が立つ」は、本来、恐怖などを感じたときにもっぱら使われた言葉。これが感動したときにも使われるよう変遷してきていることがはじめて(?)世間で話題になったのは文化庁の平成13年(2001年)度の「国語に関する世論調査」で、 若い世代ほど「鳥肌が立つ」を恐怖・感動どちらの場合でも使う人が多く、高齢者ほど感動の意味では使わない傾向が明らかになった。「本来ではない」「昔はその使い方をしなかった」というのが「誤用」の根拠。
ところが、近年「感動の鳥肌」が、国語辞典などでも認知されるようになった。
広辞苑第六版(2008年)では第五版(1998年)になかった下記の記述が追加されている。
○鳥肌が立つ 寒さや恐怖・興奮などの強い刺激によって、鳥肌が生ずる。総毛立つ。肌に粟を生ずる。仙源抄「いららき。さむくて鳥肌のたちたるけしき也」。「数学と聞くだけで鳥肌が立つ」 ▽近年、感動した場合にも用いる。「名演奏に鳥肌が立った」 [広辞苑 第六版 2008年]
「感動の鳥肌」を擁護する論拠には大きく下記がありそうに思える。
- 言葉は変遷するもの。使う人が十分増えればそれが正しい。「すごい」の使われ方の変遷と同様。
- 事実だから正しい。「だって私ほんとうに感動すると鳥肌が立つもん!」。医学的にも、感情が動けば交感神経が反応することで説明がつくらしい。
また、英語でも goose bump を恐怖と感動、両方の意味で使っているのを見るから、言語を問わず人間の“自然”な表現だという主張も成り立つかも知れない。英語ではじめから両方の意味で使われていたのか、それとも日本語と同じように変遷があったかどうかは知らない。
それでも「感動の鳥肌」を誤用だとする主張が根強いのには、感動を個人の身体感覚で安易に表現してしまうのは「ちょっとはしたない」という感覚もあると思う。あまりにも使われすぎて陳腐化しているから嫌い、という感覚もあるかも知れない。
かといって別の言葉があるかというと、「感動した」「胸がおどった」「涙がこぼれた」「ぞくぞくした」「ぞわぞわした」....などありそうにも思えるが、「鳥肌が立った」に適切に置き換わる言葉を見つけるのは難しそうに思える。
そういうわけで、先週のサントリーホールのステージに百数十名のチェリストがずらりと並び、音が重なり合ったときのあの感動を表す言葉には困っているのだが、あのときいっしょにステージにいた人が「鳥肌が立ったね!」と言うのには「そうだよね!」と百パーセント共感してしまうのだ。
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